加賀友禅をメインとした
伝統工芸継承支援

江戸時代より続く唯一の
加賀友禅の染元千紅による「長町友禅館」

加賀友禅というと、伝統の街―金沢の工芸品として有名ですが、実は、現在、江戸時代から伝統を受け継ぐ加賀友禅の染元は、千紅(長町友禅館)ただ一つになってしまったとのことです。


この染元自体も、今やその技術の継承が危うい状況にあるため、何かしらの力になれたらと、友匠社では、そのサイト制作や新規事業展開サポートを専属で行っています。


なお、長町友禅館の館長でもある、染元千紅の加賀友禅作家は、現在七代目で、初代が紺屋開業する以前は武士より紺屋へ転向した歴史があるとのことです。

紺屋としての祖 ― 寺西紺屋三郎右衛門
(苗字帯刀を許された加賀藩御用紺屋を開業)
紺屋三郎右衛門の印

江戸文政年間、当初は武士として加賀藩の染の仕事を発注する側であったが、 片町紺屋治右衛門、千日町紺屋長兵衛 との親交のもと、絵師として作る側に転向し、 前田家を始め重臣の染の御用を承る紺屋を創業。
文政11年(1828) 公儀町(高儀町)の屋敷の隣(元車町)で、染め工場を開業。 苗字帯刀を許された、大規模な加賀藩ご用紺屋となる。
表紺屋 (手描き友禅染)として、多数の職人や用心棒もいたとのことです。

武士としての祖先 ― 寺西治兵衛秀則
(信長命による城主後,前田利家に仕え五千石

紺屋家業開始の九代前。元は尾張国荒子の出身。本国は下総の国、千葉石見守。 元亀2年(1571) 信長の命により、江州(滋賀県南部)石部城主となる。 秀則の弟 清左衛門之政は、浅野長政に仕え、子孫は安芸広島藩士となったが、本能寺の変(1582)の後、 秀則は前田右馬(前田利家の伯父)の娘を娶り、利家の妹を妻とした弟 寺西九兵衛と共に、前田利家 (高徳公)に仕える(若狭を含め5千石)。秀則は、秀吉認可の茶人でもあり、号を宗與と称した。